東大セミナー通信

2008.01.01塾長メッセージ

「小説「道元」を読む」


立松和平氏の小説「道元」上・下を2週間でようやく読み終えた。千ページを超える大部な作品もさることながら、難しい漢字、用語がどんどん出てきて読書の速度が遅くなりがちだった。それに内容があり、吟味して読みたい、という気持ちも手伝って余計に時間がかかった。
いくつか感動の場面があったが、仏法を極める高い志は肉親や師弟の情を超える、という件(くだり)は特に印象的だった。道元と共に宋に渡った明全という高僧は恩師が病んで危篤状態になり、渡宋の延期を懇願され、弟子達も明全に思いとどまるよう意見を具申した。
しかし明全は「恩師や友情にそむいてでもかの地にわたって、私がたとい一部のさとりでも開いたら、多くの人を度(すく)う縁となる。このことによって師に報いられよう。また私が渡海さきで求法の心を持ったまま死んでも、いささか玄奘三蔵法師になぞらえることもできよう。(たとい師であれ親であれ)ただ一人のために失いやすい時をむなしく過ごしては仏の意(こころ)にそむく。よってこのたびの渡海のこと、一向に思い切り畢(おわ)りぬ(決心しきっている)」といって入宋求法の志を貫いたのであった。
残念ながら明全は志半ばで宋において病死した。しかし後悔はしなかったに違いない。一時の情にほだされて渡海しなかったほうがよほど後悔につながったと思う。人生には必ず一度や二度、岐路に立たされ迷いに迷うことがあるのではないか。そのとき自分の志は如何、それに大義はあるか、などの自問自答の必要性を痛感した。学問も己の立身出世の手段と考えるより、少しでも世の中のため、人のために役立ちたいと考えることで普遍性が生まれ、人間本来の力が発揮できるのではなかろうか。
明全の入宋求法の話は、小説では長く引用に適さないので、松原泰道著「道元」によった。

今月の言葉:
感動で涙をこぼすと人は良い気持ちになる。よい遺伝子がはたらくからである。 村上和雄(筑波大名誉教授)

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