東大セミナー通信

2012.10.01塾長メッセージ

「言葉の怖さ」


このごろ朝起きてまず初めに思うことに今日一日「人の悪口を言うことが無いように」ということがあります。 ここで言う悪口とは感情的な非難、中傷のことです。なぜそういうことを思うかといえば、 ついそういう言葉が口をついて出てくる自分を知っているからです。 自分の考えに固執し思うようにいかないと相手を、周りを非難する。それはよくあることです。 最悪なのは陰口の類です。このように注意をしていてもなかなか難しく、ついつい犯してしまいます

 

以前から野球の松井秀喜選手の人間性に魅かれています。 報道によると彼は中学2年生の時に人を非難したことを父親に酷く叱られ、 それ以来人の悪口を絶対に言わないと決意したようです。 さしずめ私などは中2の松井選手以下ということになります。 人はちょっとした言葉で生かされもし、殺されもします。日本は古来「言霊の幸ふ国」といわれ、言葉を大切にしてきました。 聖書にも「始めに言葉ありき、言葉は神と共にありき、言葉は神であった」とあります。

 

しかし、そこは神ならぬ人間の身、大変難しいことです。 話は少し広がりますが、先日酒席で数年前の私(私達?)の言葉に痛く傷ついた、という人の話を聞きました。 「こいつら絶対に許せん」と思ったとテーブルを叩いた彼の表情に怒りが沸々とこみあげているようでした。 妻を亡くした彼を慰めようと私と友人とで一席設けた際の出来事です。激励の言葉がかえって徒になったということです。 改めて当時の話を聞き彼の心境を考えると軽率というより他はありませんでした。

 

私達の気持ちはどうであれ、結果として彼を傷つけたことには間違いはありません。 そこで言葉を尽くして非を詫びました。同時に「一生忘れん」と言う彼に私は言いました。 「あなたは人を許すとか許さんとか言うけれど、あなた自身人を傷つけたことは生まれてこの方一度も無いのですか?」と。 これは開き直りに聞こえるかもしれません。 しかし私達は神仏ならぬ人間、生まれてこの方、沢山の人を図らずも傷つけ、傷つけられ生きているではないか、との思いからでした。

 

私が属するロータリークラブの創始者ポール・ハリスの最後の言葉は全世界の会員に向けて「ロータリアンよ、寛容であれ!」だったと言われています。 人間社会にはいろいろあっても最後は寛容の精神を大切に生きたいと切に願っています。 言葉でいうのは簡単ですが実際は難しいことは分かっています。しかし難しいからこそ大切にする価値があるのではないでしょうか。

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