東大セミナー通信

2018.08.31塾長メッセージ

東大セミナー物語①


 

東大セミナーは昭和61726日の夏期講習から始まった。

私が埼玉県の会計事務所を辞して

金沢市の有松(現在の金沢校)に小中生を対象に始めのが最初である。

志のある有意な人材を輩出することにより、

地域社会に貢献することが目的であった。

 

私は教員免許はおろか家庭教師すら行ったことはなく、

教育に関してはズブの素人であった。

しかしそれを弱みとして認識するのではなく強みとして捉えていた。

何故なら従来の教育の枠に囚われず自由な発想で運営できるとの考えであった。

会社設立にあたって場所の選定に半年かかった。

前職にまだある時、週末に金沢に戻り不動産会社のトップと共に

地図を片手に金沢の市街をつぶさに見てまわった。

昭和61年は後にバブル元年と言われる年である。

土地の出物が少なく、あっても所謂「帯に短し襷に長し」

と言った具合である。

いくつかの不動産会社に当たったが匙を投げるところも出てきた。

場所の選定に強く拘ったのはサービス業における好立地の優位性の考えと

「ここだ!」という直感を信じていた、いや頼りたかったのかもしれない。

 

学習塾をサービス業と捉えることは当初から強く意識していた。

その具体例として塾内の社員の言葉使いに関して標準語を基本とした。

100%標準語とするのは無理としても、金沢弁丸出しを良しとしないとした。

有松地区は当時人口が伸びている地区として注目されていた。

有松を中心に金沢市南部は大きな中学校が周りをとり囲むように存在し、

進学高校も集中している。

また所謂転勤族と呼ばれる人たちが多く住み、

教育に関心の高い地域として知られていた。

ある時塾内でアンケートを取ると実に4人に1人が転勤族のお子さんであった。

そういう環境にあって、できるだけ方言を使わないという方針をとったのである。

これには賛否があると思う。

当時、洗練された進学塾を創るという強い思いがそうさせたのである。

現在その方針はなく自由である。方言は文化であり、味である。

花街で古くからの言葉を聞くと、何とも人情味があり、後世に残ればいいな、

とすら思うことがある。

いずれにしても若き頃の気負いのなせる業であった。

しかしながら、洗練された進学塾ということで、

窓口応対、電話応対に気を使ったことは今でも間違っていなかったと思っている。

(つづく)

 

SNSでシェアする
ページTOPへ
facebook