東大セミナー通信

2018.10.31塾長メッセージ

東大セミナー物語③


 

株式会社ナガセと衛星予備校の契約を締結したのは199112月である。

全国最初の加盟校としての船出であった。

加盟の理由は深刻な大学受験指導講師の不足であった。

金沢にあって難関大学の2次試験を指導できる講師は稀有であった。

株式会社ナガセによる衛星予備校のフランチャイズ展開について紹介してくれたのは、

「月刊私塾界」の発行者の山田さんであった。

当時の私にとって渡りに船の話であり、

一度吉祥寺の衛星予備校を見学して導入の意思を固めるのに時間がかからなかった。

前職の顧問先としての縁もあり迷いはなかった。

スタジオ録画でなく実際の授業を収録して配信するところが特に魅力であった。

加盟にあたって金沢市久安に高等部専用校舎を建てた。

 

1991年というと開校して5年が経過し、経営も軌道に乗り始めていた。

有松の金沢校はもとより、一年半後に開校した松任校も順調であった。

進学校への進学実績も県下有数となり、まさに行け行けの状態であった。

株式会社ナガセの経営理念は「教育の機会均等」であった。

最先端の優れた授業の提供は都会の生徒と地方の生徒の格差を是正する、

とするものでありそれに共感した。

しかし、久安の新校舎のロケーションに満足していなかったので、

1千万円の保証金を捨て、2年後現在の金沢南校を建て移転した。

「好事、魔多し」とはこのことで勢い余って300坪の大きな校舎を建てたものである。

この校舎で700名の高校生を集める‘が当時の私の目論見であった。

しかし、これがのちのち経営を圧迫することになった。

衛星予備校への性急な期待と私自身の甘さが招いたことである。

高額な家賃のみならず70インチのプロジェクター3台(1500万円)の

導入などの設備投資も重くのしかかっていった。

 

大きな画面で東京と同じ授業がリアルタイムに放映されるという触れ込みだった。

しかし、まもなく生徒一人に一台のビデオ・DVDの時代に突入した。

大プロジェクターは無用の長物となったのである。

技術革新はこれに止まらなかった。

間もなくビデオ・DVDからパソコンにかわった。

その度に液晶テレビやビデオデッキ、DVDデッキが大量に廃棄されることになった。

学習のパーソナル化が思わぬスピードで進んだ。

衛星予備校が採算がとれるようになるまで10年かかった。

映像による学習が理解されるのに思いのほか多くの時間を要した。

大方の保護者の見方は「テレビを見て勉強できるのか?」、

「質問はどうなるのか?」など懐疑的なものであった。

その度に当時話題に上っていた映画「タイタニック」などを例にとり

画面であろうがなかろうが内容が良ければ、

人は感動もし、影響も受けると説明して納得してもらうのに苦労した。

あとは、成績を上げて証明するしかないとの思いであった。

徐々に生徒間で授業内容が良いと評判になり口コミで広がり始めた。

それに連れて最大のライバル塾からの転塾生も増えてきた。

長い年月を要したがやっと苦労が報われた思いであった。

 

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