「秋の風景」 - 石川県金沢市・野々市市・白山市の学習塾 - 東大セミナー
2009.10.01塾長ブログ

「秋の風景」


黄金色に覆われた田園風景に見とれていたのもつかの間、シルバーウィークにはアッという間にあちこちの田んぼは刈り取られてしまった。少し寂しい気もするが収穫をすることで一年の農作業の一区切りがつく。何年ぶりかで実家の稲刈りを妻と二人で手伝った。稲刈りと言っても機械で齢八十の父が行うのを手伝う程度である。しかし機械が入りにくい畦そばの一列目の稲株を草刈鎌で刈る醍醐味は充分味わえた。ザクッという音が何とも気持ちよく、いつの間にか夢中になっている自分がいた。刈り取った稲の実を袋詰めにしたものを直ぐ近くに横づけした軽トラックに運ぶのも私の仕事でこれが何とも重かった。今は東京にいる息子が中学のころ買った筋力トレーニングの器具をたまたま数週間前から触っていたのが幸いした。いきなりだったら大変だったに違いない。それにしても父は凄い。休むことなくアッという間に三枚の田んぼを刈ってしまった。機械の操作は難しそうで自分には今すぐにはできないだろうなと思った。
作業の合間に藁の上に腰を下ろして辺りを見ていると懐かしいバッタや蛙がいるではないか。それに赤とんぼがいる、細い用水路を覗けば珍しいメダカがいる。わずかな水溜りの中に沢山いて干し上がってしまったら彼らはどこへ行くのだろう。遥か遠い少年のころが脳裏をかすめた。捕まえた鬼ヤンマの脚を恐る恐る糸で縛り放し飼いにしたり、ミミズを手掴みすると母が汚いと言い、私がミミズは噛まないから良いと言ったことなど。
数日前に電話で父と些細なことから口論になり憂鬱な日が続いていた。母が心配して稲刈りを手伝ったらどうかと言ってきた。初めは感情的に乗り気はしなかったが、考えてみると飯米は全部父からもらっているではないか。手伝っても罰は当たるまい、いや当たり前ではないかと言い聞かせて出かけた。農作業が終わった夕方にはすっかりわだかまりも無くなり父の私に対する言葉がいつもより丁寧なのに気づいた。ときどき妻と二人で父の米を頂きながら「うちの米は旨いね」が口癖になっている。しかしそれがいつの間にか当たり前になっており、感謝の気持ちが薄れてきていたかもしれない。それからの数日、心地よい筋肉痛を感じながら、たった一日の稲刈りの仕合せに浸っている。来年も手伝いに来よう。

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【記事監修者】塾長 柳生 好春


1951年5月16日生まれ。石川県羽咋郡旧志雄町(現宝達志水町)出身。中央大学法学部法律学科卒業。 1986年、地元石川県で進学塾「東大セミナー」を設立。以来、37年間学習塾の運営に携わる。現在金沢市、野々市市、白山市に「東大セミナー」「東進衛星予備校」「進研ゼミ個別指導教室」を展開。 学習塾の運営を通じて自ら課題を発見し、自ら学ぶ「自修自得」の精神を持つ人材育成を行い、社会に貢献することを理念とする。

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