我われの祖先現生人類が繁栄したのは「共有や交換」を行ったからだという興味深い見解に出会った。
一方ネアンデルタール人は脳の大きさは現生人類より大きかったにもかかわらず亡んでしまった。 知能的にはネアンデルタール人は現生人類と変らなかった可能性があるという。 そこで何故ネアンデルタール人は亡び現生人類は繁栄したのかの疑問に応える仮説が冒頭の見解である。
ネアンデルタール人の遺跡から発掘される石器等は彼らが住んでいた地域から発掘されたものに限られており自給自足の生活をしていた。 それに対して現生人類は特定の地域でしか採掘していない黒曜石を幅広い地域で使っていた。 すなわち交換が行なわれていたわけだ。それで現生人類は唯一の人類として生き残ったとする。 この内容は齋藤孝著「人はチームで磨かれる」に紹介のあったマット・リドレー著「繁栄―明日を切り拓くための10万年史」による。
人と人の出会いは、つまるところ互いの交換でもあるわけだ。それぞれの経験・知識・知恵・情報を意識せざるとも交換・交流している。 よって人として成長が出来るのである。そのうちに自己の強みを活かして分業が始まる。 大体物々交換が始まった時点で文明が大きく発展したわけだから交換の持つ意味は大きい。 生徒にとって塾に通うということは、これまでと違う交換を行うことであるということができないか。 指導する者とされる者のみならず、指導される者同士の交換から得られるものもあるはずだ。
志・夢・目標を持つ者同士が有形・無形のうちに切磋琢磨し、また励ましあいながら目標に向かって努力する、その場が塾である。
私事だが近ごろスポーツジムに通い始めた。そこでまず目に付くのは一生懸命に取り組む見知らぬ人達である。彼らは無言のうちに私を励ましてくれる。自らも彼らに遅れを取らないように頑張ろう、という気にさせられる。
機械の上を歩きながらも走行時間、走行距離、消費カロリーなどの目標を常に意識している自分がいる。
あくまで「人は人によって磨かれる」のである。
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