今月のおススメ本:「自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか」 - 石川県金沢市・野々市市・白山市の学習塾 - 東大セミナー
2021.12.02保護者通信

今月のおススメ本:「自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか」


皆さんこんにちは。東大セミナーの篠原です。

今月のおススメ本は「自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか」です。

 


目次

1.本の情報

2.この本の凄いところ…タイトルのインパクトが凄い!

3.何故、自分の中に“毒”を持たなくてはいけないのか?

4.自分の中に“毒”を持つとどうなるのか?


 

 

1.本の情報


 

著者:岡本 太郎

出版社:‎ 青春出版社

価格(税込):814円

 

 

 

2.タイトルのインパクトが凄い!


「自分の中に毒を持て!」とありますが、もし実際に目の前に「オレ、毒持ってるんですよ!」と言う人が現れたら、大体の人は「この人ヤバイな」と感じるのではないでしょうか。普通は「毒=自分の身を危険にさらす、避けるべきもの」だと思うものです。

世の中では「リラクゼーションサロン」とか、「ストレスを軽減する成分が入ったドリンク」、「ASMRを聴いて癒されよう」などと、いわゆる毒(ストレス)と呼ばれるようなものを浄化させるものばかりが流行っています。

人は積極的に毒を持たないでおこうとするものなのに、何故、「自分の中に毒を持て!」と著者は言うのか、興味をそそられるタイトルですね。

 

 

3.何故、自分の中に“毒”を持たなくてはいけないのか?


人間誰しも、周囲の状況に甘えて生きることや、きびしさを避けて生きようとするところがあります。例えば、「今の自分のレベルだったらこの志望校が妥当だな…」と思って無難な道を選んだり、周囲の目を気にして「こんなことを言わない方が良いな」と思ったりすることはよくあることです。これについて、岡本太郎さんは本書でこう述べています。

“無難な道をとり、みんなと同じような動作をすること、つまり世間知に従って、この世の中に抵抗なく生きながらえていくことが、あたかも美徳であるように思われているのだ。徳川三百年、封建時代の伝統だろうか。ぼくはこれを「村人根性」と言っているが、信念をもって、人とは違った言動をし、あえて筋を通すというような生き方は、その人にとって単に危険というよりも、まるで悪徳であり、また他に対して無作法なものをつきつけるとみなされる。

これは今でも一般的な心情だ。ぼくはいつもあたりを見回して、その煮え切らない、惰性的な人々の生き方に憤りを感じ続けている。”

周りや、世間の主張に合わることは、軋轢をさける処世術でもありますが、自分の信念を捨てても進める、楽な道とも言えます。周りを気にせず自分の信念を貫くことは、自分が痛い目に合うかもしれない危険な道です。しかし、岡本太郎さんは「危険なことに立ち向かうことこそが、人間としての本当の生きがい」だと考えているので、「常に危険な道を選べ!(=自分に毒を持て!)」と言っているのです。

岡本太郎さんの言う“毒“は、自分の信念を貫くための毒ということなのです。

 

 

 

4.自分の中に“毒”を持つとどうなるか?


突然壮大な話になってしまい恐縮ですが、私たちは何故この世に生まれてきて、生きているのでしょう?一人の人間が生きること自体に、誰にでも納得できるような合理的な理由や意味はありません。

人間ではなく、道端で咲いている野花の例を考えてみましょう。野花は何のために咲くのでしょうか。ひょっとしたら花は「誰かを幸せにしよう」と思って咲いているのかもしれません。けれど、野花で幸せになれない人が居たらどうでしょう。野花で幸せになれない人にとって、野花が咲く意味は無いのです。ただ花が咲いているだけなんです。

このように考えていくと、生きものが生きていることそのものに意味付けすること自体、無理があるように思います。野花はたまたまそこに咲ける環境があったから咲いている。これと同じように、人の場合もただただ、自分が生まれてこれる環境があった。確かにあるのは「自分は今生きている」という事実だけです。

生きることに意味はない。あるのはただ、今生きているということ。そしてやがて死ぬという事実のみ。岡本太郎さんは、「生きることそのもの」に損得や合理的な理由など無いのであれば、「無条件に生きること」、それを徹底して貫け!と言っています。

 

さらに難しい話になってきましたね。では、「無条件に生きる」とはどういうことでしょうか。

岡本太郎さんの有名な言葉に「芸術は爆発だ」というものがあります。岡本太郎さんは、「芸術とは生きることそのもの」と定義しています。つまり、「芸術は爆発だ」は「生きることは爆発だ」と言い換えることができるのです。

「爆発」というと、大きな音がして物が飛び散り、周囲が破壊され人が傷つくイメージがあります。しかし、岡本太郎さんの爆発のイメージはそうではなく、次のようなものです。

“全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと。それが「爆発」だ。人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきだ。いのちのほんとうの在り方だ。”

この部分については、本書を読まれた方それぞれの解釈があるように思います。私は「花や木がただそこに咲いているように、ただただ与えられた命をあるがままに活かそう。」ということなのかな、と思いました。

 

 

人間、生きてたら「あいつが憎い」「チクショー!」とか、毒々しい感情が出てくるものだと思うんです。そういう感情があって当たり前なのに、表に出すのは大人げないとか、仕事が進まないとかで感情を抑え込むことになると、余計に辛くなりませんか?

でも、「自分の中に”毒”持ってて良いんだ~」と思うと、ちょっと気が楽になる気がします。むしろ、岡本太郎さんは「世間のルールよりも自分の信念を貫け!」と言っていますからね。よくよく考えたら世間のルールだって時代や国によって全然違いますから。どの時代もどんな場所でもみんなが納得する常識やルールは無いのです。

 

岡本太郎さんは、常識や世間体に囚われず、自分の中から沸き起こる「ありのまま」を大切にしよう、と言っているのですね。

 

この本は、人間社会で生きることへの悩みに、道筋を照らしてくれることでしょう。

 

 

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【記事監修者】塾長 柳生 好春


1951年5月16日生まれ。石川県羽咋郡旧志雄町(現宝達志水町)出身。中央大学法学部法律学科卒業。 1986年、地元石川県で進学塾「東大セミナー」を設立。以来、37年間学習塾の運営に携わる。現在金沢市、野々市市、白山市に「東大セミナー」「東進衛星予備校」「進研ゼミ個別指導教室」を展開。 学習塾の運営を通じて自ら課題を発見し、自ら学ぶ「自修自得」の精神を持つ人材育成を行い、社会に貢献することを理念とする。

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